うっかり年を越してしまった。
毎年年末になってその1年を振り返る日記?年記?を書いているが、もう年を越した今となっては2023のことなど全て忘れてしまった。単に酒を飲みすぎたからである。
今年はなんだかこうやって惰性で生きていく予感があるな。
だとするならば初速が重要だ。始めのスタートダッシュだけで勢いをつけて、あとはその慣性で過ごせるくらいになりたい。
今のところその勢いみたいなものは皆無だが、とにかくやる気を出して乗り越えていきたい。
いきなり締めみたいな文章を書いてしまった。
一応、2023年のことを少し振り返っておこうと思う。
上半期はすでにまとめているので、そちらを参照してください。
7月 ラジオ体操の罠、取材の難易度
夏休みなどない社会人の夏は楽しみもない、そう思っていたのだが今年は少し毛色が違った。
散歩していてたまたま見つけた案内によって、自治体で毎年やっている夏のラジオ体操に初めて参加したのだ。
夏休みにラジオ体操にいく、それはアニメでよく見る出来事ではあったが実際に体験したことはなかった。
なにせやったことがないので興味がある。
なぜならラジオ体操を朝にやる、それだけで1日の満足度が向上しそうじゃないか。
ラジオ体操会場は家から5分ほどの歩いたところにある小学校のグラウンドだ。ますますワクワクしてしまう。
しかし1点だけ厳しい要素がある。
開始時刻が6時30分なのだ。早すぎるよぅ。
疲れた社会人にとって6時半はまだまだ寝ていたい時間である。
リモートワークで通勤から解放された身である自分からすると余計にそう思う。
9時から始業する仕事をしているにも関わらず、なんだかんだいつも9時30分からノロノロと開始しているのに、どうやって6時30分から体操をするのだ。
しかし、決めたからにはやらないと後悔してしまう俺は眠い目を開けることなく、ぼやぼやと小学生の列に並んで11日間のラジオ体操を乗り切った。
我ながらやればできるじゃん!と感動したものである。
あれから半年経った今、寒いからと10時に起きて10時半に仕事を開始する生活を送っている。
この半年の間に人間性が180度変わってしまったのだろう。
ライター的な活動としては、初めて取材をして書くタイプの記事をやった。
その後絵を描く機会が作れなかったので、いまはもっと上手くなっているかもしれいない。
講師のいちかわさんがものすごい準備してきてくださっていてとてもありがたかった。
そろそろ画材を揃えてしっかりと絵の練習をしたいな〜。
とにもかくにも機会を与えてくださった水曜日のハンズさん編集部の皆さまに感謝をしたい。
8月 シャウエッセンの夏、江ノ島杯の夏
8月はひとえにシャウエッセンの記事作りに追われていたように思う。
これね。
シャウエッセンを大量に買ってきたはいいものの、到底1日で食べ切れるものではなく、およそ1ヶ月かけてチマチマ食べ続けていた。
シャウエッセンは元々贅沢品なのに、こうも当たり前に余っているとありがたみが薄れて良くない。
当然いつでもうまいのだが、うまいのが常習的に続くと日常に起伏がなくなっていくのだ。
俺はもっと日々に興奮をしていたいから記事を書いているのに、記事を書くことで感動に慣れが出てしまって悲しかった。
とはいえ、そんな鬱憤も江ノ島杯に入選したことで吹っ飛んだ。
憧れのライターさんに記事を読んでもらえるだけで光栄なのに、こうやって褒めまでいただいてしまって恐縮しきりである。
9月 諏訪には手を出すな、上高地へ行け
9月に祖母が住む長野に帰省した。
せっかく有給を消化するのだからと長野観光もついでにしてしまおうと、早起きして諏訪に向かうことにした。
しかし前日仕事が炎上して深夜2時まで労働せざるを得ず、そのまま寝坊してすべての予約プランが消し去るところから始まり、全体的にこの旅程は崩壊することになる。
驚くほど不幸が続いていたのだが、半分くらいはただの不注意なので仕方がないと受け止めるしかない。
悲しいがこれが今年いちばん人間的に成長した瞬間だったと思う。
一連の流れはXで実況していたので興味あればご覧ください。
ただ帰りに寄った上高地はとてつもなくよかった。
今年も旅行にはいくつか行けたが、トップクラスでいい景色を見れたと思う。
時間はなかったので目的地すべてを回ることはできなかったのだが、あの『岳』で出てくる上高地の一端を触れることができてとても感動したのを覚えている。
大人になってよかったのは風景を自分ごととして鑑賞できるようなったのと、それをつまみに酒が飲めること、この2点だと思う。
10月 迫る日々と寄る年波
10月はとにかーーーく忙しかった。仕事が。
今期から部署の広報担当みたいな仕事を多く引き受けることになって、そのトップピークがこの10月に重なった。
2回の社外セミナー登壇と、社内説明会しきりと登壇、そして大ボリュームの社外向けレポートのプロジェクトリーダーになっていて、それのリリースもあったのだ。
毎週のように何かしらの本番があって、日に日に消耗していった。
かなり心が苦しくて、遅い時間の帰宅時に駅のホームのはじっこでぼーっと線路を見ていると、つい足をむけてしまいそうで怖くなり少し泣いた。
あの時の感情はつらいことから逃れたいというよりも、自分がいなくなって周りが困ってほしいという願望にあったと思う。
周囲からの感謝や自分自身のとってのやりがいが見つけられないとこういうことになるのかとしみじみ考えていた。
そんな激務の間にも月日は流れ、30歳を迎えた。
30歳になる前はいろんな人に「30になったらなにか変わりますか?」と聞いて回っていたが、実際になってみるとめちゃくちゃ変わる。
誰も教えてくれなかったが変わっている実感があるぞ。
でも別に教えたくないので、皆じぶんで気づいていくのだろう。こういう社会の秘密があることを知った。
11月 奈良になんとかしてもらう
激務を経て仕事に絶望した心を癒そうと奈良に飛んできた。
よく考えるとその翌週に休んで京都にいっていればヨーロッパ企画の25周年公演を観れたのだが、時すでに遅し。
それでも奈良をしっかり満喫できたので良かったと思う。
ちなみにこの有休初日にデザフェスと文学フリマに行ってきたのだが、まだその買ったものたちを読みきれていない。
年を越してもイベントを満喫できるのは嬉しいが、気持ちは積読による切迫感のほうが強い。
この月にはトルー杯もあった。
書いた記事はこちら。
グっときたフレーズ賞をいただいたが、ネタ自体は結構気に入っていたのでシンプルに悔しい。
いつのまにかこういう賞に応募している人たちと繋がりができていることに気づいて、それは嬉しかった。
知り合いが褒められているのをみるだけでもなんだか誇らしいものである。友だち100人作ろうね。
10月がとにかくつらかったので、発散する様にライブに行きまくっていた月でもある。
ざっと数えるだけでも4つほどイベントにいっているので、ほぼ毎週だ。
有休も一気に消化したので、たぶん職場では転職活動している噂が流れている気がする。
12月 酒はすべての原因であり、すべてを許す
毎週の様に飲み会が発生していて、忘年会という文化を思い出す。
案外1年いろいろあったので、溜まったストレスを発散するためにどの飲み会でも全力で酒を飲んでいたらあっという間に泥酔して記憶がなくなる。
2次会、3次会まで行ったのに覚えていないことが多く12月の印象がどうにも薄いのだが、それは日々のインパクトが薄いのではなく酒の飲み過ぎである。損した気分だ。
しかし薄ぼんやり覚えている内容から考えても、記憶がないほうがありがたい恥ずかしい行動ばかりしていたので、脳の自浄作用が正確なだけかもしれない。
どうせ死ぬなら大晦日がいい
2023も風が吹く様に過ぎ去っていってしまい、どうにも寂しい。
今年の目標は「自己満足」だった。
断じて独りよがりになりたいわけではなく、出来ることをしっかりと行って、自分の選択や決定や結果に満足することを目指していたのだ。
そういう意味では出来ることは行ったものの、満足はできていない。
出来ることが出来るようになってくると、どうしてもさらに上を見てしまう。
いつまで経っても満たされることはなく、次々と新たな目標が見えてきてしまう恐ろしさを知った。
この目標は生きているうちは叶うことができないものなのかもしれない。それを20代の最後に打ち立ててしまったことを少し反省をした。
そんな反省をすべて無視して来年の目標は「世界征服」にしてみた。大きく出たものである。
自分の見えている世界をちゃんとコントロールして、自分のものとして制御していくこと。
指先ひとつまで冴え渡った生活を送るためには、両手に広がる世界だけでもキッチリ掌握しておく必要があると思ったからだ。
決して悪の組織的な発想ではない。極めて謙虚だと自画自賛すらしている。
来年もあらゆることが進行するが、人生は所詮生活でしかなく、生きる活動を続けるだけなので期待もせずやりたいことをのびのびと行っていこうと思っている。もう新年だが。