明けましておめでとうございます。
現在は2022年1月2日午後12時。寅年。
今年も無事息災で新年を迎え、1日とちょっとが経過した。そう、正月である。
日本はいま、正月に包まれている。
テレビでは箱根駅伝が中継されていて、画面に映る芸能人は皆「新年明けましておめでとうございます!」からトークを始め、街へ出れば門松が店先に立ち並び、神社仏閣では初詣の列ができている。
確かに暦の上ではもう正月。気持ちの晴れやか、今年に向けて気持ちが盛り上がっているだろう。
だが、この正月を迎えている今だからこそ、1つ言っておきたいことがある。
正月よりも大晦日の方が良くないか?
年を越すと気持ちが切り替わっている人が多いため忘れがちだが、大晦日のワクワク感は1年の中で突出している。
〜大晦日がワクワクする理由〜
・1年が終わり暦が切り替わる緊張感
・たくさんの年越しカウントダウンイベント
・夜ふかしが許される雰囲気
・来年に対する期待と今年を振り返る達成感
1年で3日ある正月(三が日)とは違い、1年で1日しかないにも関わらず、外国ではクリスマスと一緒くたになってしまうくらい存在感が見出されていない大晦日。
でも大晦日ほど気持ちが高まる1日はないのだ。正月に包まれてしまった今となっては忘れ去れてしまったあのワクワク感を、もう1度味わいたい。
そうだ、大晦日をもう1回やってみよう!!
1.思い込むことから始める
結局暦なんてものは自分の気持ち1つでどうとでもなる。
僕が今から「今日は大晦日だ!」と思い込めば、それは「大晦日」とすることができるのではないか。
あとは状況やアイテムで大晦日を再現し、より気持ちを高めていけば、あの時のワクワク感をもう1度味わえるかもしれない。人類が有史以降、達成することができなかった時間を超える体験を、気持ち(と思い込み)で成し遂げてみよう。
まずは自分自身が大晦日であることを認識しなければいけない。
まだアイテムが揃っていないため、説得力には欠けてしまうが、それでも自分に言い聞かせてみる。
「今は大晦日だ」
「今は大晦日だ」
「今は大晦日だ!!」
大晦日になった。今年もそろそろ終わるな〜〜〜!
頭の中ではこういうイメージも展開していた。
よし!大晦日になったところで、次は年を越す準備をしよう。
2.大晦日の準備をする
大晦日、つまり年越しにはいくつかのキーアイテムがある。
代表的なところでは「年越しそば」だ。年越しそばの由来には様々な説がある。細く長いそばを食べることで寿命と家運を伸ばす説や、そばは切れやすいのでその1年の悪い運を断ち切り晴れやかな気持ちで新年を迎えるため説、など。
いずれにしても年を越すには年越しそばは必須アイテムと言えるだろう。
また自室で年を越し直す予定なので、12月31日を再現することも必要だ。
2021年12月31日のカレンダー、年を越すまでの時間を確認するための時計、年越しに即したテレビ番組。自分の半径2mを12月31日に戻すことで、自分自身を錯覚させ大晦日を取り戻す。
時計は自室のものを流用できるので、まずは年越しそばと、昨年のカレンダーが必要だ。
現実の時間は2022年の1月2日。僕の気持ち以外では、大晦日はすでに過ぎ去った過去。上記のアイテムを無事獲得できるかが鍵となる。
まずは年越しそばから。
年末実際に年越しそばを買いに行ったスーパーに行くと、そもそもスーパーがやっていなかった。
おかしいな……。まだ大晦日なのに元旦とか書いてある……。
困ったな〜〜、昨日(脳内の12月30日)までは空いていたのに……。
仕方ないので、コンビニに行ってみる。
売り場を見ると、年末感が全くなかった。
そばのカップラーメンは売っているが、この年末感が少ない売り場で買ってしまうと自分の中に現実が降ってきてしまうので、避けることにした。できる限りまだ大晦日の雰囲気を残しているところで買うことで、自分のなかの大晦日を濃くしていきたい。
他に回ったスーパーもこんなよくわからない張り紙があり、お休みだった。大晦日なのに。
自転車を使って町中を駆け巡り、そば・うどんが大量に店頭に置いてあった「あの時の大晦日」を探し求めていると、ついにその光景を見つけることができた!
ドンキホーテだーーー!!!ありがとうーー!
これこれ〜〜〜!年末感あるわ〜〜〜安心した。今日はやはり大晦日だ。
こうしてコンビニの半額くらいで投げ売りされていた緑のたぬきを獲得した(なぜこんなに安いかは考えないことにする)。
では続いて、カレンダーを探す。
年越しそばでさえこうも淘汰されているのであれば、期限が切れているカレンダーを探し出すのは困難が予想される。まずは少し遠くだが、品揃えが豊富なホームセンターに駆け込んだ。
完全に2022が溢れている。この光景を目前にすると自分の中の大晦日が揺らぐ。キツイ。
棚を探しても当然全て来年のカレンダーのみが並んでいる。
近くを通りかかった店員さんに控えめに「2021年のカレンダーはないでしょうか?」と聞いたものの、眉をしかめながら「ないですね……」と返された。そりゃそうだ。今は2021年はこの世界では去年なのだから。初売りでお忙しいところ本当に申し訳ないことを聞いてしまった。
その後書店を中心に何店舗か回ってみたがどこに行っても、探している2021年の大晦日が書かれているカレンダーは見つからない。
もしかすると丁度残っていた2021年のカレンダーは廃棄したばかりなのではとゴミ回収場も覗こうかと考えたが、寒さのおかげで冷静になった為、倫理観を失うことはなかった。
もはやこの世界に2021年のカレンダーを販売しているところは無くなってしまったのだ。
正月、および時の残酷さを思い知る。僕の大晦日は淘汰されてしまった。
血眼で2021年の残滓を探していると、たまに時に取り残された奴らを見つけることができる。
書店の棚の影に置かれていた2021年のチラシや、
未だクリスマス感がある照明を見つけると、
「2021年にいるのは自分だけではない」とホッとする。
仲間を見つけた気持ちだ。僕はまだ諦めるわけにはいかない。2022年の隅に存在している彼らのためにも。
しかし残念ながらこのままでは年を越してしまうので、カレンダー購入は諦め帰宅をし、自宅で使用していた去年のカレンダーの12月31日を修正テープで復活させ、リカバリーとした。
しかしこの作業を経ることで、自分の中の大晦日がやや懐疑的になってしまったので、急いで次のフェーズに取り掛かる。
3.場を整える
まずは集めたアイテムを用意しよう。
修正したカレンダーを掲示して、
年越しそばを準備。
さらにクラッカーをセットして、概ね年を越す準備ができてきた。
あとは住環境を大晦日に整えていく。
youtubeで「年越し カウントダウン」と検索すると、大量のカウントダウン動画が出てきた。
このいずれかをモニターで映し、一緒に時を過ごすことで「あの時の大晦日」を再現していく。
またradikoというAMラジオをスマホで聴けるアプリは、1週間前の番組を聴けるタイムフリー機能があるので2021年12月31日の番組を流すことが可能だ。
こうすることで、視覚的にも聴覚的にも年越しに向けて環境が整った。
テレビやラジオで話している人物たちも、僕と同じ2021年の大晦日にいる。その事実を体感することでカレンダーの失敗を取り戻せるくらいには大晦日を実感することができた。
仕上げにyoutube内の動画時刻と、radikoから流れるラジオ番組の時刻、さらに自室の時計を同じ時刻に揃えていくことで、年越しまであと1時間、2021年12月31日23時の大晦日を再現することに成功した。
視覚、聴覚をコントロールしたので、ついにここで苦労して手に入れた年越しそばを食べていく(1日ぶり)。
年越しだな〜〜〜大晦日のあの切ないけどドキドキしてくる感覚が体を包む。
来年は何をしよう、初夢はどんなものだろう、福袋買いに行くべきかな〜、いろんなことがリセットされているので改めて2022年に想いを馳せることができる。
人は切り替わりのタイミングに合わせて人生を整えていく生き物だ。
その回数が多ければ多いほど、より高いモチベーションを維持することができる。大晦日をやり直すことで、再び新鮮なやる気を注入することができるのだ。
やはり大晦日は良い。人間にとって気持ちを高めることができる1番の時間は年を越すまでのこの時だ。
4.そして再び年を越す
そんなこんな考えていくと、あっという間に0時が近づく。
毎年年越しはEテレの2355年越しスペシャルを観ているので、こちらは録画した映像をテレビに映す。
やはり大晦日のピークはここ、年越しの瞬間なのでこちらとしても気合が入る。
3!
2!!
1!!!
ハッピーニューイヤーーー!!!!!(現実では2022年1月3日の丁度0時)
年を越しました。大晦日の終わり。
いやあ、感慨深いです。年越しそばを食べた辺りから本当に大晦日だと錯覚していたので、しっかり達成感がある。
足元が寒いのも、口の中に残るそばの風味も、これからお風呂入んなきゃな〜という気持ちも、完全に再現している。これは紛れもなく大晦日だ。状況とアイテムを揃えれば、時のイベントは再現することができることがわかった。
そして最後の大晦日行事、元日のカレンダーへの切り替えを行う(2回目)。
よーし、今年も頑張るぞ!!!(すでに新年を迎え3日が経過中)
5.初詣に行こう
年を越したのだから、初詣に行くべきだ。
せっかくの2回目の元旦、少し足を伸ばして、浅草寺まで来てみた。
さて参拝するか、と本殿に向かって驚いた。めちゃくちゃ並んでいる!
おいおい、元旦かよ!?(元旦ではない)
深夜のお寺で列ができる=元旦、という認識が出来上がっているので、思わずツッコんでしまった。
これまで用意してきた小細工よりもずっと現実的に大晦日らしい風景が目の前にある。
遠くの記憶にある「今日は3日の0時」という事実が揺らぎ、「本当にタイムスリップをしたのではないか」と動揺した。
不安になりiPhoneの時計を確認したら記憶通り「2022年1月3日0時30分」とある。安心した、今日が元旦と思い込んでいるイカれは僕だけだ。危うく「今は何年の何月何日ですか!?」と通行人に聞くところだった。よかった。
しかし浅草寺は3日の深夜でもこんなに人がいるのか、驚いたな。
後ほど調べてみると、それこそ元旦はこの参道が人で埋まるくらいの参拝客が訪れるらしい。
そう考えると、3日に元旦だと思い込んで初詣をするのは(同じ元旦でもあまり並ぶことがないので)得をした気分になる。
無事参拝を済まし、おみくじを引いた。社務所はやっていなかったので、参道脇に置いてある無人おみくじを引かせてもらう。
半吉。
「願望:思い通りにならない」とある。悲しい。
6.大晦日はやり直せる
帰路につきながら体感2回目の大晦日を振り返る。
まず1番に困難だったのは、世界がこれほどまでにも過ぎ去った暦の証跡を残さないことだった。
クリスマスムードが26日から急に年末になり、そして大晦日が終わると自然と正月景色を当たり前に感じていたが、そのスピード感がいかに早いかを思い知った。
街は刻一刻と変わり続け、時間に取り残されるとその現実が怖くてたまらない。
一方、店の隅や街の影に「過ぎ去っていった暦の残滓」を見つけると、ホッと安心する。
自分と同じように取り残されてしまったものの悲しさが何だか愛おしく感じられるからだ。
これまで通勤時に「ここ、いつまで正月飾りつけてるんだろ」と不躾に思っていた自分を恥じる。
彼らは彼らなりの時間の過ごし方をしているのであり、それは他者が干渉すべきものではない。
そして状況を整えて、外界からの情報を遮断すれば、暦を繰り返すのは可能なことであるのも分かった。
人が絶対的に超えることができない「時間」という壁は、気持ちひとつで簡単に乗り越えることができる。
クリスマスが好きなら何度もクリスマスをしても良いし、お盆や雛祭り、バレンタインデーといったイベントもやりたい時にやればいいのだ。それを実行するときに疑問を持ってはいけない。環境と気持ちを整えれば、きっと毎日の暦は思い通りにすることができる。
初詣を終え、帰宅する。大晦日で散らかった自室と、不要になった2021年の残滓を片付けていて気づいた。
「明日(1月4日)から仕事始め?」
気持ちはまだ元日で、これから正月気分となっていたが、現実はそうはいかない。社会が許さない。
暦を思い込みで変えることは理論的には可能だが、現実的には圧倒的な損なることが分かった。辛い。