20240803_この世の終わりのチキンカレー

どんなに嫌なことがあった日でも、松屋のハンバーグカレーを食べれば元気になれた。

 

仕事でうまくプレゼンができなかったとき、
朝の電車で知らない人に舌打ちされたとき、
歩いていたら足裏に釘が刺さって大声を出したとき。

 

 

繰り返されている毎日にはどう足掻いても苦い瞬間が現れる。

そうして少しでも心にかげりが訪れたらすぐに松屋に駆け込んでこのハンバーグカレーを食べるのだ。

 

 

そもそも松屋のカレーは牛丼チェーンにしては美味すぎた。

しっかりと煮込まれた結果、カレールーよりもソースに近いこってり感を堪能できるのもさることながら、ほぐされた牛肉がいたるところに隠れていて、ビーフカレーとはまさにこれのこと!と思えるほど肉肉しい。

 

さらにそこに大判なハンバーグがのっかる。

ハンバーグそのものはシンプルだが、しっかりと肉汁が滴ってこれまた食べ応えがあるハンバーグなのだ。

 

舌がお子様ランチのころから変わっていないので、このファミレスで出てくる機械的に成形されたハンバーグは妙に馴染みがいい。

 

味と肉の暴力。それを白米がしっかり支え、俺に幸福を与えてくれる。

 

ルーといっしょに口に頬張れば、「俺はいま生きているぞ!」と強く感じることができるのだ。

思い出を残すように半券を溜めている

 

俺にとって松屋のハンバーグカレーは人生に向き合うための大事な回復ポイントであり、イケてない日には松屋に訪れることで不幸な状態をリセットできる、そんな力を持っていたのだ。

 

 

そんな松屋のハンバーグカレーは、ある日突然形を変えてしまった。

 

 

カレーソースがビーフからチキンになったのである。

 

 

無念だ。

 

俺が松屋のハンバーグカレーに信頼を寄せていたことの1つに、資本力の大きさがあった。

松屋ほどの大規模チェーンで長らく提供されているメニューは、未来永劫変わることも無くなることもないのだと勝手に思っていたのだ。

松屋のカレーは創業ビーフカレーとメニューに銘打つほど、「創業されたときから存在している」ことに自信があったはずなのに。

 

それがまさかの大改変である。

 

詳しい理由は出ていないが、おそらく物価高騰により、ビーフカレーの価格が維持できなくなったことが原因ではないかと推察をしている。

 

たしかに改変が行われたことで数百円安くなった。
カレー1人前480円は安価の牛丼と並んでも見劣りしない魅力がある。

もしくは、期間限定で出していたごろごろチキンカレーも非常に人気だったことがこの大胆な変更の勝算でもあったのかもしれない。

 

すべては闇に包まれているが、少なくとも一緒に俺の心も暗くなったのは事実である。

 

文字通り心の支えだったハンバーグカレーがなくなった衝撃を、これを書いている今もまだ受け止めきれていない。

 

何はともあれ、松屋のカレーはチキンカレーとして生まれ変わったのだ。
ありがたいことにハンバーグトッピングも(そこまで表に出てないのは気になるが)残留している。

 

もしかするとこれまでのビーフカレーよりもチキンのほうがより美味しいのではないか。
松屋の経営判断を疑った自分を恥じるような結果が待っているのではないか。

 

そんな気持ちをもとに今日、俺は松屋でハンバーグチキンカレーを食べた。

※ショックにより写真撮影を忘れました

 

 

これがおいしくないのだ。

 

 

いや、おいしくないは言い過ぎだ。食べれる程度にはうまい。

しかし、これは、俺の絶望を救ってくれるものではなかった。

 

 

ある日スーパーでパスタソースを買いにいったときに、ピエトロから発売されている「絶望スパゲティ」というパスタソースに出会った。

 

なんでも「絶望しているときにでも美味しく食べられる」ことが由来のパスタだそうで、この商品名に出会ったときに「人には人の絶望メシがあるのだろうな」なんてことを思っていた。

 

俺にとって”それ”は、紛れもなく松屋のハンバーグカレーだった。

 

気持ちが暗くなるとき、暗くなりそうなときでも揺るがないおいしさは救いだった。
おいしいはポジティブな感情に紐づいているから、強制的に前に向くことができる。

 

絶望メシは人を前に進ませるための灯台なのだ。

 

 

シャバシャバなチキンカレーを前にして、スプーン1杯が軽くなったカレーを一口ひとくち食べ進めながら、心の灯台が消えてしまった悲しみを感じていた。
あんなに切ない昼食は今日が初めてだった。

 

とぼとぼと帰路につきながら、誰が言ったか「推しは推せるときに推せ」という言葉が頭によぎる。

 

当たり前にメニューにいてくれることがどれほど幸せだったのか。
好きな食べ物に自分がどれほど救いの期待を寄せていたのか。

 

思い返すほど、言葉はでなくなる。

 

いつかあのビーフカレーの味も忘れてしまうのだろうか。
チキンカレーによって膨れた腹を撫でながらそんなことを考えてゾッとした。

 

また次の希望を探すまで、なるべく日々を安全運転で生きていかねばならない。

 

俺にはいま、絶望に立ち向かう手段がないのだから。

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