寿司は日本のハンバーガーだと思う。
これまでこのサイトでも寿司が好きなことは何度も書いているが、ここ最近の熱の入れ方は過去のハマり度合いを「あの頃はまだ薄かった」と恥ずかしく思うほどだ。
それもこれも、都内に回転寿司を多く見かけるからであるし、コロナ禍も落ち着いて外出機会が増えたからだろう。どちらもとても良いことだと思う。
それにしても、どうしてここまで寿司が好きなのか、その理由に向き合いながらびっくらポンを回していると、1つの答えがでた。
「ひとくちで食べれるからだ」
寿司はよっぽど特徴があるところではない限り、成人男性であればひとくちで食べれるサイズだ。
どうしたって、口いっぱいに頬張ってしまうだろう。
おいしさが口いっぱいに広がることに、体が巨大な幸福に包まれる。
口から頭、じんわりと全身の皮膚がゆるく弛緩しておいしさの波を味わえる。それがたまらない。
ひとくちでおいしいものを精一杯頬張ったとき、人間にできることは「口の中のおいしものをどうにかする」以外にやることがない。
余裕がないから味わうしかない。
逼迫の隙間にある幸せ、それが「ひとくちでおいしいものを食べる」という行為だと思っている。
そこが好きだ。
だったら、この世のあらゆるうまいものをひとくちで食べたい。
もし全部の食べ物をひとくちで食べれるなら、これから先に待っている食の幸福を最大化できるかもしれない。
人は生まれたら死ぬまで幸せで生きていくしかないのだから、僕は食べ物をなるべくひとくちで食べたいのだ。
ファミチキはデカいし、硬い
なんでもひとくちで食べたいとは言ったものの、いきなりステーキにいきなり挑戦するわけにはいかない。
日常で親しんでいる食べ物からチャレンジしよう。
そう思って、ファミチキを買ってきた。
たまたまお昼どきにファミマに行ったら、新味のポン酢ジュレ入りファミチキがあったのでテンションが上がって買ってしまった。
ファミチキを頬張る唯一の懸念と言っていい油っぽさをポン酢が打ち消してさっぱり食べれるなんて、今回の企画に都合がよすぎるではないか。
管巻いてる余裕などなく、がっついてみる。
全然無理でした。
全くひとくちでいけそうな予感がなく、恥ずかしさのあまり笑ってしまった。
正面にあるスマホ用三脚に、ファミチキを持ちながら笑いかけている様子が滑稽で寂しい。
さすがになんの準備もなく、勢いだけで挑むには対戦相手に失礼だった。
しっかりと口角を柔らかくしておこう。こんなことしたことないが。
いざ、再戦!
うぉーー!
「パクっ」
普通に、ひとくち分だけ食べてしまった。
え、ちょっと待って!ポン酢ファミチキめちゃくちゃ美味いんだが!
ひとくちで食べる企画が破綻したことなど忘れて、ファミチキのうまさに流されてしまった。
定番商品にしてくれ、ポン酢ファミチキを。美味しかったです。
限界というものが、ある
その後、立て続けに3連敗した。
① ガストのハンバーグ
② ドトールのミルクレープ
③ マックのフィレオフィッシュ
どれも本当に口の手前まではいけると思っていたのだ。
でもちょうど唇に触れるあたりで「あ、無理だ」と気づくのだが、為す術もなく、その後は小さなひとくち分のかじり後だけが残される。
特にドトールのミルクレープはいつも体感消しゴム(の大きさ)だったのに、今回だけホールケーキくらい食べ応えがあった。
もしかして、こちらのチャレンジを見越してこの世の食べ物がデカくなってる?
だとしたら僕だけ得をしすぎている。世間の皆さんすみません。食糧問題を解決してしまいました。
自信に対しての結果がこうも分かりやすく出てしまい、生物として情けない。
こちらはただ、好きな食べ物をひとくちで食べて幸せになりたかっただけなのに、どうしてこんなに敗北を感じなくてはならないのだ。
好きなもの食べて落ち込むなんてないだろう。
しかしそんな失意の中、最後に訪れた場所で念願が叶うことになる。
ご期待ください。
ミスタードーナツにお願い
最後に訪れたのはミスタードーナツ。
店内に入るとあまーい香りと談笑の華やかさに体が包まれる。
1日でファミチキ・ハンバーグ・ミルクレープ・フィレオフィッシュを普通に食しているため、正直すでにお腹はいっぱいだ。
それでも最後の希望に、ミスドに期待を託した。
よくよく考えると、自分とミスドの縁は強い。
震災直後の計画停電で街中のあらゆる娯楽が終わっていたころ、地元の友人とミスドに連日長時間お世話になって大変救われた。
また、転職活動中の無職の頃パソコンをもってミスドでダラダラと文章を書いていたことが、実はこのサイトの始まりなのだ。
人生の本質が余暇なのであれば、僕の人生はミスタードーナツで作られたといっても過言ではない。
地元以外で初めてバイトをしたもの、大学近くのミスタードーナツだった。
キッチンで入ったら同時期のキッチン担当が全員海外の留学生しかおらず、業務内容がまったくわからないまま、1人で締めを任されて翌日のパートさんに長文の手紙で怒られた思い出がある。
最終的に、店長の機嫌が悪いと従業員全員にそのピリピリが伝播するのが具現化したインターネットみたいで怖くなってそのままやめてしまったが、休憩中にドーナツが食べれたのが嬉しかったから大体いい思い出だ。
ミスタードーナツにきたら、いつだっていいことがあった。
今日だって……きっと!
最後のチャレンジにはフレンチクルーラーを選んだ。
素朴な味わいでミスドの原点だと勝手に思っている。
大きく口を開けて、いざ!
食べれた。
詰め込んでいるだけとも思うが、口に入ってしまえばこちらのもんだ。
あとはゆっくり噛みながら少しずつ飲み込んでいけばいい。あれ、なんかこんな競技じみていた企画だったか?
完食である。
勝因はただフレンチクルーラーが柔らかいからなのだが、ひとくちで食べ切れたという満足感も相まって想像以上に満腹だ。
なにかをひとくちで完食したい皆さん、その答えはフレンチクルーラーにありました。
飲み込むことに必死で味わう余裕はほとんどなくなるので、あまりおすすめはしないですが、参考なれば幸いです。
別にひとくちで食べなくてもうまいものはうまい
気づいたこととして、別にひとくちで食べ切らなくても美味しいものは美味しい。
ひとくちだけ食べた残りのハンバーグだって、ひとくち目と同じくらいうまい。
最近寿司がばっかり食べすぎて、その感動を忘れかけていたのかもしれない。
今回、一気にいろんなチェーン店のご飯を食べることができたのも嬉しかった。胃の中はあらゆるジャンルの料理がたっぷり収まっており、すでに胃もたれの予感がする。これが胃の悲鳴か。
しかしひとくちで食べ切れた時のあの満足感はなかなか言葉に表現できない。
限界に挑戦したその先にまたミスタードーナツに救われたのも人生の伏線回収みたいで気持ちがよかった。
しかし、人の口には限界があるし、ひとくちで食べ物がなくなってしまうのもそれはそれで切なかったので、あくまでオススメはしません。
食べ物はおいしいのだから、ふつうに食べてください。うまいものに順位などない。