俺が性格が悪いのは、俺のせいではないことだけがこの世のただ一つの真実だ。
8月も終わるというのに、家から一歩も出ていない生活はただただテンションが下がる。街に出れないというのなら今こそ書を手に取るべきだ!とばかりに本を読むが、自慢ばかりのビジネス書のおかげで頭に血が上り、いっそう暑い。
熱でもあるのか、さてはコロナか!?と一抹の不安と共に体温計を手にしたところ、35.7度と平熱より愕然と低い自身の体温を目の当たりにしては、逆にゾッとして寝込む。
寂しい。寂しいが、誰かと会ってこれ以上の失態を繰り返す人生はごめんだ。何もしたくない、何も読みたくない俺はなぜか今、ドラマ版HEROを1話から観直して「モノマネのホリがずっとかぶっているヅラって、この時のキムタクの髪型だったんだ!」と以降の人生でまったく役に立たない雑学を手に入れている。
在宅業務も本格的に長引いてきて、流石に飽きてきていた。単調さが際立って仕事にも集中ができない。視界にすぐベットが目に入るのも良くない、気が逸れるから。
こうなったら嫌でも仕事に集中できる環境作る他ない、と強く思った俺はとにかく環境づくりに投資をし始める。キーボード、マウス、PCメガネにヘッドセットとwebカメラ、ついには3万以上のオフィスチェアまで導入した。一通り揃って仕事を始めてものの5分、俺はネットでハワイの風景を検索している。
飽きる。というか毎度形から入るだけ入って、すぐ出てしまう自分に気づいて凹む。お金をかければ自分を追い込めるかと思っていたが、追い込まれたのは懐事情だけで、業務に対してのモチベーションが湧いてくるわけではない。枯れている源泉から、今さら油田が出てくることはどうやらないらしい。
しかしVRゴーグルと自転車を買う資金をぶっ込んで購入したオフィスチェアを無駄にするのは流石に惜しく、夜な夜な身を縮めて腰をかけ、やはり本を読む。時間ばかりあるので驚異的なスピードで数々の本を読破しているが、ついに昨日、5年以上積んでいた本たちをすべて読み切った。
最後に読んだのは、敬愛する作家森見登美彦氏のムック本、『総特集 森見登美彦』だ。文字量がとんでもないこの雑誌は、デビューから2018年までの森見氏の活動をコラムや対談、読み切り、最後には膨大な年表と用語集にて補完する内容であり、大変に濃ゆい。
どう考えても森見登美彦の熱烈ファンしか読破できないだろうと購入をし、俺は間違いなく森見氏の熱烈ファンだと声高らかに読み始めたが、読み終わるまでに3年近くの時間を費やした。
森見登美彦のファンで、今年の夏にこの本を読み切ったのはおそらく俺だけだろう。それはそれで稀有なファンといえる。
以前ノベルダイブという言葉について、この日記でも述べたと思う。その時の説明として、「ノベルダイブは人によって作用が異なり、俺にとっては読書にのめり込む感覚のことをいう」とか適当なことを書いていた。
確かにそれはその通りで、それをノベルダイブと呼びたい気持ちもある。なぜならかっこいいから。30代が見えてきたにも関わらず、いまだに全力で仮面ライダーを応援している俺は、読書のことをノベルダイブと呼称することに憧れがあるから。
しかしそれだけがノベルダイブではない。ここまで文字を読まれている方なら、多少気づくこともあるかもしれないが、俺は直近読んだ本の文体に、思考の言葉が引っ張られる傾向にある。言葉選び、句読点の打ち方、一人称と書体。その作家の文体の影響がかなり露骨に出ている。今だって明らかに森見登美彦に脳幹を揺さぶられている。
まあ森見氏はそんなことする人間ではないが、作中のキャラクターのクセに自身の性格が引っ張られている。恥ずかしいことこの上ない。俺が自分の文章を読み直したくない理由はここにあり、この日記の青臭い部分がいつまで経っても醸成されないのはそういった背景がある。
しかし、ノベルダイブによって俺の思考が構築されるのであれば、俺の性格が粗悪な仕上がりなのは、生まれ持った気概によるものではなく、俺の周囲に鎮座している著者たちのせいとも考えられる。常々この人生の責任者を探し回っていたが灯台下暗しとはこのこと、諸悪の根源は我が家の書棚に違いないのだ。
許すまじ。これまで埃が積もれば払ってやり、日に当たらないよう布をかけ、タイトルは五十音順を遵守、書棚の隙間は人生の恥と訴えてきた俺の活動は、敵に塩を送る行為だったのだ。そう、俺は悪くない。俺は悪くない!!(絶叫)
俺は『夜は短し歩けよ乙女』という小説を心から愛している。初めて1人で旅行に行ったのもの『乙女』の舞台をめぐる旅程だったし、書店員時代に真っ先にやった仕事も文庫版のPOPを書くことだった。
大学の入学試験の際小論文を書いたがその冒頭、自身の座右の銘を紹介するくだりで、物語の後半挟まれる主人公の発言「人事を尽くして天命を待つ」を引用したほどだ。
最近はオーディオブックといって、どこぞの誰かが本編を3時間くらいかけて読み上げる音源を聴きながら入浴と就寝を行なっており、この最悪な文章を書いている今も後ろでは黒髪の乙女があーだこーだ言っている。
森見氏の小説に出てくる乙女を始めとしたいわゆる「猫ガール」(この呼称はとても気に食わないが)に高校時代から首ったけの俺であるが、現実世界に彼女らがいたら真っ先に避けて通るだろうと思いながら彼女らのことを考えている。
そ れこそ飲み屋の前で二足歩行ロボットの真似をこっそりやったり、「おもしろい」のことを「オモチロイ」といい、常にキョトンした態度で人をかき分けて生きていくその姫に近い姿は、現代ではおよそ常識的な存在ではない。
‥‥‥まあフィクションのキャラクターに苦言を呈してもしょうがないが。そして真っ先に避けて通られるのは彼女ではなく、風呂上がりに全裸で扇風機を浴びながら登場人物に苦言を呈している俺自身だろう。情けない。こんな悲しい夜はない。夜は短し悲しいよ俺は。