6/2_大豆田とわ子と三人の元夫と努力が苦手な俺

 大豆田とわ子と三人の元夫というドラマをご存知だろうか。これがあまりにも良すぎるので俺は今後5年、このドラマの考察に時間を費やすことに決定した。ので、今日もストロングゼロを飲みながら録画したドラマを観ている。27にもなって毎週の楽しみがドラマって、と思う自分を恥ながらちゃんとお酒とおつまみを買ってそのドラマを観るために仕事を切り上げているのだから、面白いものだ。
 「大豆田とわ子と三人の元夫」はキャラクターとか俳優、女優ではなく、純粋にセリフや物語が好きだ。最新話で勝手にオダギリジョーカーがいう「寂しがり屋には同じく寂しい人が寄ってくるものです」という台詞を聞いて、「ああ、俺もなのか」と思ってしまった。
 台詞まわしの軽やかさに憧れるのだ。句読点とか、面白みのある語彙ではなく日常の中にあるちょっとしたズレとか愛おしさみたいなものを感じ取って伝えていける人に惹かれる(大多数が好かれる)のだろうとそんなことを思っている。

 今日、職場で自分の1年を振り返る機会があった。その資料を作っているときややアンニュイだった俺は、堂々と人生観を語っていたわけだが後々になって「振り返りすぎた?」と不安になる。だって他の人が「他部署含め頼られるようになりました!」と報告している中、「相手の思考を楽観的に期待している状況は甘えである」とか説いている状況がやばすぎるし重すぎる。完全にしくじった。
 俺はいつもこうやって少しだけ自分の理想の1日からズレる。ズラし方をもう少しだけ利口に過ごしたい。思慮深くなりたい。他者とか利益に惑わされず、少し先を常に意識していたい。

 まあこんなことを言っているうちは実現なんかしなくて、結局意識しているうちに形作られるのが人生だけど。そしてこれもただ書いているだけで理解や方法は自覚していないのだ。
漫然と生きている。幸か不幸か、今はまだ、わからない。

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