仕事中に目薬を指そうと思ったら、3滴も外した。
最終的には殆ど眼球に接触している状態で目薬を落とし、目に激痛が走る。あらゆる感覚が鈍い。疲れているらしい。
昔も仕事をしていて、目の前のディスプレイに汚れがついているなぁと思ったら「.(ピリオド)」だったことがある。俺の疲れはまず目にくることが改めてわかった。
とはいえ今日は天気が気持ち良く、気分も晴れやかだった。日差しが満ち風も通る我が家のお陰で働いているのに何だか休日みたいな健やかさがあり、快適極まっている。
その分、逆に不安になるのは明日のことだ。
今日が快適ならば明日は不便。禍福は糾える縄の如し、人生の機微はそうやって毎度良いものだけではない。
こう考え始めてしまうと思考はずっと後ろ向きになる。決して不幸ではなかった今日1日を振り返り、なんとか心地悪かったシーンを抜き出そうとしてしまう。
「あの時のミーティングは適当なことを言ってしまった」
「結局〇〇をやっていない」
「あの時のあれはこうするべきだった」
自分の失敗を不幸と捉えようとすることで、今の幸せを認めない斬新なマインドセットである。
そして冷静になって自分の性格を呪うのだった。
むしゃくしゃした時は、料理をすると少しだけ気分が優れる。
割と手間をかけずに短時間で達成感が得られるからだ。自身の手を動かし、価値のあるものを作れるという事実に満たされる。それがどんなに粗末でも、自分が食べれればいいのだから判断基準も甘い。
「今日はむしゃくしゃしているから」と言い訳を作れば、脂質が多い豚玉を食べるのも罪悪感はない。
独身生活の鍛錬の結果磨かれたお好み焼きテクニックは、誰に披露することもなくウチのキッチンだけで輝いている。
今日も素晴らしい出来だった。脂肪と糖でできているお好み焼きを食べ、嫌なことを棚に上げながら、同じく脂肪と糖でできている自分の腹を撫でて今日を終える。俺は自分に甘い。