4/1_ノイジー 憤りの隣人

 予言通り、今週頭は思いっきり死んでいた。
死んでいたのにも関わらず、記憶がはっきりと残っているので今でも辛い。
 生きているのに死んでいるような気持ちを味わいながら、過ぎていった日を忘れ去ろうとカレンダーを塗りつぶす毎日を送っている。思い出すのも辛いのでここには書かない。

 3月が終わって4月がきた。とはいえ、まだ週半ばなのでこれといって切り替わった気持ちはない。
新卒の頃は失敗と後悔の連続だったので、こういった切り替えのタイミングに過剰に期待を寄せていたが、最近になって変化の方が面倒なことが多いと思ってしまい中々切り替えに対して明るい気持ちになれない。停滞だろうか。加齢ゆえの許容と思いたい。

 今日仕事の合間に離席してドラッグストアに行こうとしたら、たまたま隣人が帰ってくるところに遭遇してそのご尊顔を初めて拝見した。美人だった。美人の就活生だった。
 これまで薄い壁の向こうにいたのはちょっとしたゴリラだと思っていたからかなり慌てている。壁を隔てて美人の就活生、これは問題である。物語の始まりだ。
 まあ、実際のところお互い生活音がダダ漏れなのでかなり険悪なのだが。そう、険悪になってしまっているのが大変心苦しい。美人の就活生だと知っていたら深夜の洗濯機の1つや2つ(実際に3〜4回許してきたが)どうってことない。今はもう管理会社を間に隔てて(壁は薄いのに)バチバチになってしまった。惜しいことをした。
 ちなみに俺は一度この美人の就活生の財布を拾ったが、険悪最盛期だったので、ドアの横にそっと置いておくというセキュリティもクソもない対応をとってしまった。美人の就活生だと知っていればドアを叩いてお茶の1つにでも預かったものを。
 そんな妄想をする程度には大変疲れているし、とてもやることがない。
 期が切り替わろうが、新入社員が来ようが家にこもってじっとしている俺にはおおよそ関係がない。退屈な一方、かなり体は楽になっているため少し外に出るとしんどくてたまらない。精神の加齢は一向に訪れないのに体は弱っていく一方だ。
 そう遠くない未来、体はヨボヨボだけどまだ30代のおじさんが出来上がるだろう。しかし向上心はない春の迎え日だった。  

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