中学の頃、バスケ部でダンスが上手で頭脳明晰でユーモアもあり、年上の彼女がいる同級生がいた。
彼は絵に描いたような良いやつで、どんな人間にも本当に分け隔てなく接するため当然ながら人望があり、3年生になる前、クラスのほとんど全員から支持されて生徒会長選挙に推薦された。
しかし彼はバスケ部との両立が難しいことを理由に、その推薦を断ってしまう。
うちのクラスからは他の男子が生徒会選挙に挑むことになり、そのまま特に盛り上がることもなく生徒会選挙は進むはずが、彼の親友数人が期限が過ぎたのにも関わらず再び彼を推薦するという行動をとったことで思わぬ展開になる。
その背景には、推薦された彼自身の葛藤があり、その姿を見ていた親友たちはどうしても後悔をしてほしくないと、選挙管理を行なっている教員の元に、立候補期間を過ぎてしまった彼にチャンスをくれないか直談判したのだ。
日々の起伏がない学校に突如訪れた熱い展開は、職員室の情緒とその選挙担当の教員の胸を震わし、特例で彼は立候補の機会が与えられることになった。
結果的に親友たちの説得もあって選挙戦に臨むことになった彼はまさに大逆転で無事生徒会長に当選し、任期を大団円的に終えた後、卒業式の答辞で泣きながらその時の出来事を語って、体育館を感動の渦に巻き込んだ。
さて、この一連のエピソードをこうもしっかり記録している俺の立ち位置はというと、その彼の代わりに立候補した男子生徒の「推薦人」であり、応援代表者というポジションである。
いわゆる負け戦の介助人なのだが、実はさらにその年の選挙を取りまとめる管理会の副会長でありながら、熱き親友たちに選挙制度に関して相談されることもなく(彼らとも友達だったはずなのだが)、ただその決定を廊下の隅で眺めていた人物、という位置でもあったのだ。
この物語において、主役は当然生徒会長となって見事華々しい中学生活を歩んだ彼であり、助演は彼の親友、もしくは展開を沸かせた教員。影のポジションとして逆にスポットが当たるとしたら、彼が立候補することでスポットライトから外れてしまった同じクラスで立候補した男子生徒だろう。
地味にストーリーに関与しておきながら、スポットが当たることもなく、誰の結果も補助することはない、まさに背景の一種と化していた俺は、今もまだその時のことを思い出しては「本当に冴えない男子中学生」だった自分をどうしても俺は物悲しく見つめてしまう。
こうして今、主観として日記を書いているとたまに、さも自分が世界の中心にいるような気持ちになることがある。
しかしすぐにそんなことはないとあの中学生時代を覚えている自分が否定をしてくる。客観的に物事見ろと訴えかけてくる。
1日何も達成感を感じなく「こんな日もあるよね」と思うことは自己肯定ではなく、怠惰で諦念的なだけだと、現実的に思ってしまう。
中学の時の彼があまりにも輝いていて、はっきりと「あぁ、この半径5kmくらいの世界の主人公は間違いなく彼なんだな」と14歳くらいの俺は認識していた気がする。
それが悔しいと思わないくらい、当たり前に事実として受け止めていた。
その時の感情はもう今は持ち合わせてなく、同じような状況を目の当たりにしても、「でも自分はこの人より〇〇が優れているし、こいつはきっと……」と下賎な想像に及んでしまうだろう。
誰かや何かと比較をせずに、昨日の自分と比べてどうかを測れる境地に一刻も早く向かうべきなのだが、まだこうやって10年以上前の出来事を観測しようとしている事実に今、なす術のなさを感じている。幸せになりたい。
ちなみにその生徒会長は、その後著名な広告代理店に勤めながら、特技だったダンスも相変わらず精を出している。たまにテレビで出るような友達もありながら(それも俺の知り合いなのだが)、美人なパートナー、可愛い子ども、バカでかい4WDを1枚の画角に収めた写真をSNSにあげたりしている。
もはや悔しくもないが、俺が性格が悪くなる一端を担っていることに間違いはない。
もちろんいうまでもなく、悪いのはただ俺1人であり、地獄に落ちるのも俺だけだ。
誰かドラゴンボールで、トランプの大富豪みたいに革命を起こしてくれないだろうか。今の俺なら、確実にジョーカーに匹敵する強さに成り上がることができるだろうから。
(ここに来ても他力本願を選択肢にしてしまう俺の素晴らしい最悪さに拍手!)