ノベルダイブという言葉はすでにこの世へ既出されている単語だが、その作用は人それぞれ異なる。
俺のノベルダイブは読んでいるうちに作品にのめり込み、視野が狭くなる。そのうち座っている場所がどんどん沈んでいって、今いる場所ではない、どこか静かで穏やかな場所で物語を眺める。そんな現象。
ノベルダイブが起きると少しだけアンニュイになって元の高度に戻るのに時間がかかる。そのローディングのような時間でしっかり作品を噛み締めて戻ってくると少しだけ知恵をつけた自分になる。そういった体験を繰り返して俺は読書が好きになったのだった。
違国日記の最新刊を読んだ。少し説教を食らっているような気持ちにもなるが、感情を丁寧な言葉にしてくれることがありがたい。また仕草がちゃんと見えるから誤解せずに言葉を理解することができる。ハッとさせられる漫画だ。自分の感情を誰かが教えてくれるのはありがたいが、大人になったら自分で読み取れなければいけない。間違った判断が、間違った自分を産んでしまう。
もっと自由に生きていい。学生時代に比べたら随分自由になったと思うが、自分の価値観とか思い込みに縛られすぎている気がする。それこそ男社会の洗礼を通ってきて、数々のメディアに囲まれて、多くの年代の人たちの声を聞いて、自分で自分を固定してしまっている。評価とか視線とか。人生の目的は生きることであって、勝つことではない。最後はどうせ1人で死ぬだけなのだ。何にこだわるかにこだわれ。
3月。外はかなり暖かくなってきて、世界が少し明るくなる。
恥ずかしい言葉も、かっこ悪い気持ちも、見栄も都合もなんでもござれ。この春は俺のものになる。