日記何だか面倒くさいな〜、何のためにやってんだろうな〜という最近の気持ちを『14歳の栞』という映画が吹き飛ばしてくれた。今再上映中のため、興味があればぜひ観に行ってほしい。
埼玉のとある中学、とあるクラスの50日に密着した映画なのだが、驚いたのは特定のヒーロー・ヒロインを作るのではなくクラスメイト全員に密着したということ。
そこから伝わるのは、14歳の他愛のない毎日の愛おしさと危うさだった。
いわゆるドラマ的な見どころがあるわけではないが、観ている人全てが通る14歳という期間をスクリーンを観ながら追体験することができる。
それを観ながら、記録を残すことの大切さを改めて思い知った。
映画内に出てくる子たちは、気持ち悪いくらい生々しくてどこか自分のことを表しているように思えてくる。
自分も14歳の頃、こういうこと考えていたな〜と思うものの、その記録がないために実体を持った記憶にならないことが悔しくて堪らなくなる。
それは、あの頃の自分の思想や意識を否定していることにもなるからだ。
あの時考えて、思って、決定したことがどんなに自分にとって大切だとしても時が経って忘れてしまっては、自分で自分を蔑ろにしていることになる。
それがどんなに薄くてしょうもないことでも、今の俺を形成するために必ず必要な過程だったはずなのだ。
なのにそれを思い出せない。形として持っておけていない。
日記はそれを、そういった言葉にならない感覚を記録しておくためのものなのだ。
改めていうが、ぜひ劇場で観に行ってほしい。作品の特性上、個人情報が記録に残ることを避けるために今後配信やDVDなどにならない可能性がある。劇場上映の大切さを感じるためにもぜひ。
ただ、あの映画はドキュメンタリーではないので、問題提起とかそういうことを期待した場合には不完全燃焼となるので気をつけてほしい。あくまで密着した映像で、それ以上でもそれ以下でもない。
また一応映画としての見栄えを保つために、1本の構成があって、どことなく綺麗な感情を抱かせてくるが、それは14歳の栞も商業映画だからであり、映画である以上綺麗なところを選定している感じはある。
そのため結果的に観客側はノスタルジーを抱くが、それはきっと14歳の頃にある程度綺麗な思い出がある人に限られるだろうと思う。
中学時代に辛い思い出とか、14歳くらいの頃にトラウマ的事実がある人はそれがフラッシュバックする機会になる可能性は十分にあるので、そういう人は避けた方がいいかもしれない。それだけとてもありのまま、あの頃を映し出すから。
かくいう俺も14歳の頃、辛い記憶がある印象だったが、逆に他にも何かあったのではないかと思わされてしまったので、今度実家にでも帰ってあの頃と再会しようと思ってしまうくらいには、興味深い映画だった。
とりあえず、いつかの俺のためにも日記を残しておこうと思い直す1日だった。