3/12_皆死にたもう事勿れ

 27歳になったら人は何も悩まず、自分の選択に満足し、毎日をスムーズに生きていけると思っていた。
俺は概ね、その逆で生きている。おかしい。責任者が目の前にいたら呼びつけて怒ってやりたい。
そんな気持ちで鏡の前に立つと、目の下のクマが痛々しい俺がぼーっと立っているだけで悲しくなる。頑張って生きていこうな、俺……。
 小学生の頃、宮沢賢治の『雨にもマケズ』を暗唱した。詩を覚えているときは「こんなひもじい生活やだよなあ」なんて友達と言い合っていたが、この歳になって惚れ惚れする生き方だと感動する。子どもにそんな詩を読ませ何で欲しい。あの頃に笑って言っていた「こんな奴になんて〜」以下の存在に自分がなっているなんて、滑稽だ。ああ、俺も「いつも静かに笑って」いたい。

 大人になった、と最近思う。主に身体が痛いときに。あとは理不尽をグッと堪えようとしている時に。どちらもおそらく良いことではないが、人間納得するにも理由が必要なのだ。これもまた大人になって分かったこと。
大人は言うほど立派ではない。
せいぜい税金を納めて、自立できるくらいには生活しようとしているくらいで、中身も考えも生き様もこれまでの蓄積で器が大きくなっただけの生き物だ。
仕事もサボるし、悪口は言うし、気持ちで状況を判断してしまう。
それでもいいと思うけど、子どもがそれを許さないと大人たちは見栄を張って生きている。見栄だけで何とか自分を保つのも慣れれば平気なのようで、たまにどうしても耐えらなくなる、これからもそんなことを繰り返していくだろう。

 最近職場の人たちにインタビューをして記事にする遊びをしている。
元々勝手にコラムを書いていたから読んでくれる人には好評で、それ以外の人は無関心だ。寂しいところもあるが無心で書いている。
自分よりも大人で、さらにその立場が求められる人に話を聞くと、ああこの人たちも人間なんだと気づく。責任がある立場だからと言って心や身体が強くなることはない。
そしてみんな大なり小なり辛かった時はあって、別に仕事も好きじゃないらしい。それが分かっただけでもよかったし、それを伝えられる記事を書いている。
逆にこれから色んなことに挑戦していく後輩に話を聞くと、自分をよく見せようとしていたり、仕事以外のことを考えるのは悪だと思っているように感じる。考えてみると自分もそうだった。
仕事は所詮遊ぶ金欲しさで働いていると今であれば思えるが、それをわざわざ言うことで水を差すのも野暮だと思い、やめた。いずれ気づくだろう。

 そうやって人にばかり関心を持つようになると、この居場所から逃れられなくなりそうで恐ろしい。
可能な限り早く降って湧いた資産によって不労所得を獲得し、美人と今日の川縁で穏やかに生活を送りたい。

 昔の狂歌で「世の中に寝るより楽はなかりけり、世間の馬鹿は立って働く」と歌ったものがあるが、早くこれを純金の拡声器を使って古今東西のハローワークで叫ぶ生活を送りたい。
大量の求職者にボコボコに殴られながらも、俺は金を抱いて笑いながら彼らを蔑むのだ。

タイトルとURLをコピーしました