1/30_テルマエのお手前

人間、出来て当たり前なんてことは何にもない。
朝起きて、ご飯を食べて散歩して、夜は本とゲームを楽しんで寝る。そんな1日でも、ちゃんと生活が出来ているという奇跡の一環なのだ。
と、堕落した日々を正当化する術にだけ長けてきている。

昨日寝落ちしたので、風呂に入りそびれた。もはや生活すらもままなっておらず、いよいよ詭弁で乗り切るもの苦しい。
朝起きて最初にすることは、入浴ということになった。
とはいえ、ただ家の風呂に入るだけでは面白くない。
せっかくなので家から30分くらい歩くちょっと大きめの銭湯に行くことにした。前から気になっていたのだ。
部屋より寒い外気に身も心も震えさせながら、ほうほうの体でたどり着いた銭湯は、かなり広かったがかなり混んでいた。
日曜の午前中から銭湯になどくるなよ、俺は昨日から入っていないんだぞ、道を開けろ!
気持ちだけは大きいが、背は縮めて湯に浸かる。気持ちが良い。

絆されている心が人生を振り返り始めて、これが走馬灯かと思い始めていた。
その状況がのぼせていると気づくのは、それから10分後のことだ。

のぼせた体を露天のベンチで冷やしていると、この銭湯のルールがあることに気づく。
皆じぶんがいたところを立ち去る時に、必ず手桶で座ったところに水をかけていくのだ。
さらにその使った手桶に次の分の水を汲んだ上で、定位置に戻す。
つまり手桶を手にすると、必ずそれには前回使用者の汲んだ水が入っていて、自分も使った後には水を汲んでおかねばならないのだ。
そんなルールがあることはどこにも書いていないし、ここにきている人も全員が全員常連客ではないだろう。
それでもちゃんと全員がそのルールを入浴中に気がついて、自分もそれに倣うのだ。
それを見ていて、なんと日本的なんだ……と惚れ惚れしてしまった。

仕事を休んでしばらく経つ。
仕事をしていた時は当然仕事のことばかり考えていて、悩みが尽きなかった。
休みになればどうだろうと思っていたが、また違う悩みが出てくるだけだった。
自分が書く文章のこととか、お金のこととか、これからの人生のこととか。
悩めるほど余裕があるのは、それはそうだが、結局スムーズに生きれないのが悔しい。
指先の一つまで冴え渡って、日々行う選択を確実なものにしていきたい。

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